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リビエラマヤ/2.チチェン・イツァ訪問

2010年09月20日

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マヤの古代遺跡の一つであるチチェン・イツァを訪問。 
ユネスコの世界遺産に登録されています。

マヤ文明は紀元前400年ごろから、メキシコの南東部、グアテマラ、ホンジュラスなどの中米で栄えたといわれています。




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「チチェン・イツァ」とはマヤ語で、「聖なる泉のほとりの水の魔法使い」。

代表的な遺跡のエル・カスティージョ、またはククルカン・ピラミッド
10世紀ごろに建てられたのだとか。



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年に2回、春分の日と秋分の日には、「羽毛を持つ蛇」ククルカンが降臨することで知られていますよね。

あらかじめ計算されて作られたわけですから、こんな昔に高度な天文学と建築学の知識が存在したことに驚きです。




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蛇とジャガーは、マヤの宗教では神様として崇められていたらしい。






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ククルカン・ピラミッドには、91段の階段が各面にあり、91段×4面=364段。
最上階の神殿に上る1段を加えると、361+1=365。太陽暦の一年の日数と同じ。

また、マヤ暦は1ヶ月は20日、1年は18ヶ月で、20×18=360日。
最後の5日は邪悪な日だそうです。

映画「2012」でもそうでしたが、マヤ・カレンダーによると、2012年12月22日にこの世は滅びると予言がありますが、信じる??




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12世紀、マヤ文明は滅亡。
古代都市はジャングルに埋もれてしまいますが、数百年後にメキシコを占領したスペイン人によって発見されます。

しかし、スペイン人(キリスト教徒)はマヤの宗教を完全否定。
マヤについての文献は彼らの手で全て燃やされたため、チチェン・イツァの歴史は今も謎のままなのです。

誰のために、何のために建てられ、どのように使われていたのか、全て推測となっているようです。



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球技場。
フエゴ・デ・ペロタという球技で、ゴムのボールを腰で打ち、壁についているリングに通すんだって!
奇跡に近い技だよ!

恐ろしいことに、この球技は余興ではなく命がけ!!
試合終了後には、生け贄の儀式が行われたそうです。

生け贄は負けたチームの代表者がバツとして、、、と思いがちですが、神への捧げ物なので勝ったチームの代表者がなっていたのではないかといわれています。名誉なことなんだってよ!




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森の先にあった聖なる泉セノーテ。

神への生け贄として美しい少女たちを、この泉に投げ入れたそうです。

(「怖いね~」というと、ガイドさんが「これも神への貢物となるので名誉なことだったのかも。マインドコントロールされていたのでしょうね。」と。)




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生け贄の台座。
どくろだらけです・・・。戦士が彫られています。


:::::

朝のうちから炎天下の中、3時間歩きっぱなしでチチェン・イツァの遺跡をほとんど全て見学しました。
全てを書ききれませんが、古代マヤ文明の優れた知識とレリーフの技に心を打たれっぱなしでした。

マヤの歴史に関する資料がほぼ全滅された事は本当にもったいない事ですが、謎に包まれたマヤ文明はこれからも人々を魅了しそうです。



汗をいっぱいかいたので、このあとは冷たいセノーテで一泳ぎ♪


私たちは現地の日本語ツアーを申し込みました。
会社代表者はメキシコの大学で考古学を学んだ方で、現地ガイドに任すことなくご自身がガイドを務められていたので、詳しい話を聞くことができ、また少人数制なところも満足でした。
お値段も、他社を数件比較検討したなかで一番安かったです。

http://www.rutotours.com/index.htm



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